Zefiro torna について
皆さんこんにちは。
Zefiro torna について復習しましょう!
ということで、今回は、作曲者や曲そのものの背景等についてまとめてみます。とは言っても、内容は全部一度このコーナーに投稿してあります。書き方が多少変わったくらいの違いです。・・・だから「復習」なんです。
まず作者について。作詞は楽譜にも書かれているとおり、ペトラルカです。あのMatona mia cara にも引っ張り出されている有名な詩人です。コンサートのプログラムを作るときに、このように作者が有名人だと助かるということがあります。何故かというと、古い時代の作品の場合、誰が作ったかハッキリしない、ということが良くあるからです。実際、今回のあひるの定演プログラムでも、madrigaleの7曲の中には作詞者が不明という作品が何曲かありました。その点、ペトラルカは有名人なので、埋もれてしまうということが少ないのです。この曲の出所もしっかりしていますよ。
詩集「Rerum vulgarium fragmenta:断片詩集」という、1501年に出版されたものにおさめられています。全366編のうち310番目の詩です。ペトラルカ自身の美しくも深い悲しみに満ちた心の内を描いたものです。
作品は前・後半の二部に分かれており、(私たちは前半だけ歌います)見るもの全てが明るく陽気で美しい前半と、対照的に絶望的な悲しみを歌う後半という構成になっています。
前半の内容は皆さんよくご存知でしょう。 (誰です⁉️、今、サッと顔色が変わった人は💢)
後半の訳詞は次のとおりです。
しかし、惨めな私にとっては、重苦しい溜息が戻ってくるのです
天国への鍵を持つ彼女が、心の奥から引き出す溜息が
小鳥が歌い、丘に花が咲き
美しく誠実で可愛い女性が歩きます
でもそれらは、私にとっては荒地であり、野獣であるのです
後半がなぜこのような絶望的なのかを書いておきます。まず、前半の明るさは、ペトラルカの心の内をそのまま表しています。つまり「恋」ですね。ペトラルカのハートを射抜いた女性の名前はラウラ。
1326年4月6日、アビニョンにある聖クララ教会(セント・クレール聖堂)で、22歳のペトラルカは、聖堂で祈りを捧げる彼女の姿に雷に打たれたような恋に落ちました。しかし、この時ラウラには約束した相手がいました。(既に人妻だったという説も)一方ペトラルカは、聖職者でした。人妻に恋をする事は許されない。更に、聖職者であれば、その愛の全ては神にのみ捧げるべき。でも、ペトラルカのラウラへの気持ちはつのるばかり。
遂には彼は、ラウラへの愛を通して神の愛を理解するという、非常に屈折したものとなっていきます。このことがペトラルカの心を大いに苦しめました。
ラウラは二人の出会いからちょうど1年後の4月6日、ペストの為天に召されました。この4月6日は、キリストの受難の日でもあります。
彼女が亡くなった後も、ペトラルカは変わらずラウラを終生愛し続けたといいます。
話をZefiro torna に戻しましょう。もうお分かりと思いますが、後半の絶望的な内容は、この果たされることのない愛によるペトラルカの心の苦しみを表現したものです。
このラウラへの恋は、ペトラルカに物凄い苦悩をもたらしましたが、この苦悩が、彼の代表作である「抒情詩集」を生み出す源でもあったと言われています。
はい。本日の練習メモは以上で・・・えっ?
歌わない部分についてしか書いてないじゃないかって?
あ、ホントだ💦 次こそ心を入れ替えてちゃんとやります🙏
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