“はっか草”について 思いつくままに
以前にも書きましたが、この曲は、千原英喜先生ご自身が「演歌のような『泣き』の入ったコテコテの表現を期待しています」と、はっきりおっしゃっています。よく、指揮者が「聴く人を泣かせてやろう」と考えると、かえって「あざとい」とか「くさい」とかいう評価に終わってしまうことが多いのですが、何とこの曲の場合、作曲者自身が「くさい演奏」を期待しているというのです。
”はっか草”のメロディのイメージは、私には美空ひばりさんの「川の流れのように」に似た雰囲気が感じられます。
本稿では主に歌詞について、私が思いついたり感じたりしたことを、自由に書いていきます。詩の解釈については、皆さんから異論が出ることもあるかと思いますが、それはそれで歓迎します。
プロでも指揮者と楽員が意見交換しながら曲を作り上げていくことは珍しくありません。とは言え、なかなかあひる会で意見交換の場を設けることは難しいでしょう。そこで、このホームページを使って思ったことをお互いに書いていけば良いのではないかと思います。
まず、「はっか草」について調べたこと
ハッカ(ミントの仲間)
明るい日陰で、やや湿り気のある水はけのよい土壌を好む。ここではニホンハッカのことを指していると思える。
シソ科、ハッカ属の多年草で、ハーブとして栽培される。
収穫期は春〜秋
花言葉は 美徳、貞淑、迷いから覚める
精油に含まれるメントールなどのもつ清涼感が最大の特徴。
「けむる(煙る)」の意味
新芽や若草が萌え出て霞んだように見える様子
それでは、歌詞に対する私の解釈を書きます。
P.13「たおって」→「手折って」手で折り取って持つ
20小節に「美しく語りかけて」と書かれている。「美しく」とはどう解釈したら良いだろうか。
まず、「手折って」という書き方に、とても丁寧な動作と感じられる。また、その後の我が子への語りかけから、「優しく、きちんとした」母親像が私には浮かんでくる。「上品な方」というのも当たっているのではないだろうか。
「これは はっか草の花」の部分は、sop.のみで歌う。まさしく、記憶の中の母のセリフである。「母になりきる」だけでなく、「母親がどのような人なのか」というイメージを共有する必要があるだろう。
23:「幼い日」→具体的に何歳頃かはわからない。少なくとも小学生以下と思われるが、逆に「はっか草のような人になりなさい」と母が語りかけ、「私」もそれを理解していることから考えると、あまり小さい子どもではないのではないか?ただ、ここでは具体的には何も書いてないが、実際には「はっか草のような人」とはどういうことか母が説明していると思える。いい歳をした私でさえ、いきなり「はっか草のような人になれ」と言われても「えっ?はっか草・・・?」となると思う。
「はっか草のような」の解釈
凛として何があっても強く伸び、育ち、爽やかな味わいのはっか草。歌詞には、「清らかな」「心が引き込まれる」とある。→ 人生のおいて苦悩や悲しみを表面に出さない人。なのに人に寄り添うことのできる優しさ人。
48:「あれから幾十年〜」
「ひたすら生きて」の部分に使われている逆付点音符は、労働歌や軍歌などによく使われるリズム。力を込めている様子を表現することが多い。私は、この部分に、「自分なりに精一杯頑張って生きてきたつもりだ」という自負のようなものを感じる。しかし、決して「頑張った自分」をアピールしていない。「私なりの苦労を察して欲しい」というところか。
52〜55:
母は既に亡くなっているということが、わずか4小節で語られている。それに対する「私」の気持ちは何も書かれていない。むしろ、「もうとっくに」という歌詞に
「他界してもう、随分経ちますから・・・」のようなニュアンスも表面的には感じられる。しかし、実際はどうなのだろう。一見、あっさりした書き方の中に、母に対する想いが今なお非常に深いことが伝わってくると思う。それを聴く者に感じてもらえるような歌い方を是非したいところである。sotto voce と「深い思いをもって」と書かれている。
56:「はっか草のような人になりなさい」全体で3回出てくるキーポイントとなる歌詞であるが、この2回目は、最初と3回目に対し、やや違いが見られる。
強弱記号は、3回とも「P」であるが、私は、この2回目だけは、特別な感情を込めて歌い方を変えてみたいと思っている。
60:「私はついにそのような人になれなかったが」最後の「が」についたフェルマータは、多分「なれなかったが・・・」を表現しているのであろう。いろいろな解釈ができるだろうが、私はここに「自分はダメな人生だった」「お母さん、申し訳ない」というマイナスイメージで表現したくはない。「自分は自分なりに生きてきた。ただ、母の理想には届かなかった」それを「残念」と解釈するか「でも悔いはない」と解釈するかである。両方ともあると思えるが。少なくとも前を向いているから、次のTempo I°のcresc.につながっているのだと思う。
64:「その声だけは今も〜」
ここに、今でも「私」の心の中に強く残る母への深い思いが込められている。
67:「気高く香っている」
崇高な母親への思い「慕」という漢字が私の頭の中には浮かぶ。「香っている」は、はっか草に被せている。nobilmente は、文字通り「気高く」また、「上品に」という意味もある。非常に重要な部分であるが、ここを全開で歌ってしまうと、かえって安っぽいものになる。敢えてメゾピアノで。パワー全開は、次の71〜のリフレインに取っておきましょう。
最後に作詞者の 野呂さかん について。
1936年 岐阜県生まれ
詩、絵本、古典文学の研究等で活躍
フリーのイラストレーター
「詩と音楽の会」「関西創作歌曲の会」「日本児童文学者協会」会員
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