「雨ニモマケズ」のモデル

「雨ニモマケズ」にはモデルがいたという話は、既にご存知の方もいらっしゃるかも知れません。ご存知でない方の為にここに書きます。

その人物の名前は「斎藤宗次郎」宮沢賢治よりも19才年上です。彼は花巻市に住んでいたクリスチャンでした。内村鑑三の影響を受け、洗礼を受けました。
当時キリスト教は「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていました。彼が洗礼を受けて以来、彼に対するひどい迫害が始まります。足を投げられ、何度も家のガラスを割られ、親には勘当されてしまいます。また、日露非戦論を教えた為、勤めていた小学校の教師を辞めさせられました。
更に悲劇は続きます。当時9歳だった彼の長女は、「ヤソの子ども」と言われ、腹を蹴られ、腹膜炎を起こして亡くなってしまいます。
しかし、彼は挫けることなく神を信じ、神の教えに従い続けました。牛乳配達と新聞配達のため、一日40kmの道のりを走りながら、人々に伝道を続けました。子どもに飴玉を与え、仕事の合間に病気の人を見舞い、人を励まし、悩みや相談を聞きました。

1926年内村鑑三に招かれ、花巻から東京に転居する事になります。花巻を去る日、一人寂しい出発になるだろうと駅に向かった彼を待っていたのは、町長をはじめ町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、その他一般の人たち200人以上が、身動きも取れないほど見送りに集まっていたのでした。その群衆の中に、若き日の宮沢賢治もいたのでした。

「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」とは、この斎藤宗次郎のような謙虚で自己犠牲の精神への憧れと、なかなかなれない自分。理想とげんじつのギャップから生じる葛藤。その心の揺れを詩に残したものと言われています。

未分類

Posted by uchikoshi