「雨ニモマケズ」について
「雨ニモマケズ」は非常に有名な詩です。そのため、様々な考察がなされています。
作品に関する基本的なことや、詩について研究した内容についていくつか書いてみたいと思います。
まず、「雨ニモマケズ」は、宮沢賢治の生前に発表されたものではなく、亡くなった後に発見されたものです。
この詩は、彼の遺品である手帳に鉛筆で書かれていました。この手帳は、1931年(昭和6)の秋に使用していたもので、詩の冒頭のページ上部に「11・3」と書き込みがあります。この日に書かれたと思われます。
このとき、賢治は闘病中で、既に遺書を書いていました。この手帳の存在は彼の家族も知られておらず、賢治が亡くなった翌年の2月16日、東京・新宿で開催された「宮沢賢治友の会」の席上で発見されました。賢治の弟の宮沢清六が持参した遺品のトランクのポケットに入っていたものを誰かが偶然見つけたと言われています。
次回は詩の中身について触れてみたいと思います。
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