「みんなにデクの棒と呼ばれ・・・」

「雨ニモマケズ」の詩は、国語の教科書にも載ったくらい有名です。ところで、詩の後半に出てくる「みんなにデクの棒と呼ばれ、褒められもせず」の部分ですが、皆さん疑問に思いませんか?「デクの棒」は、「役に立たない人、気の利かない人、人の言いなりになっている人」ですから、どう考えても悪口ですね。更に「褒められもせず」と続きます。宮沢賢治は、なぜ「そういう者になりたい」のでしょうか?
宮沢賢治は単なるあまのじゃく?
いやいや、前半を見てください。「雨にも負けず、風にも負けず、雪にも、夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち・・・」極めて常識的な願望が書かれています。普通、誰だって同じように「自分もそんなふうになりたいよ」と思うようなことが書かれています。

これは、宮沢賢治の理想(前半)と現実(後半)を対比させて書かれているため、と言われています。
前半(賢治の理想)
強い肉体と、聖人君子のような人格を持ちたい。それは、この詩を書いたとき既に健康を害し、遺書まで書いていたから、健康な体を取り戻したい・・・というような単純なものではありません。
賢治の理想は「人の役に立つ。そのためにとにかく行動する」人間でした。賢治は豊富な知識を持っていました。そのため、多くの人に頼られる存在でした。賢治は、それに対し兎に角誠実に対応しました。それが、困っている人がいれば「行って」何とかしようとしたのです。しかし、そのためには、賢治自身が丈夫な体を持っていなければできません。この詩を書いたときの賢治は、既にそれが叶わぬ体になっていたのです。それだけに「丈夫な体を持ちたい」という気持ちは、私たちが「いつまでも健康でいたい」というのとはレベルが違うと思います。
東西南北の「困っている」人や状況に対し、「行って」と書かれています。この具体的な行動、これは賢治が健康だった頃には当たり前に実践していた姿だったのです。
それでは、後半の「デクの棒」や「褒められもせず」は、どういうことでしょう。
後半(現実)
楽譜の11からは、理想に対する当時の東北地方の厳しい現実が描かれています。賢治は、実際に「日照り」「冷夏」ばかりでなく大地震、津波といった自然の厳しさを体験し、自然の前には人間はあまりにも無力であると思い知らされていました。皆んなには宮沢賢治は、「結局何の役にも立たないじゃないか」と相手にされないかもしれない。
しかし、私は、最後の「そういう者に私はなりたい」の前に、このような一節が入るのではないかと思うのです。

「しかし、それでも行って私にできることを精一杯やろう」

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Posted by uchikoshi